済美高校野球部の上甲監督が病気のため死去
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スポーツ
済美高校野球部の上甲正典(じょうこう・まさのり)監督が2014年9月2日午前、入院先の病院で亡くなりました。67歳でした。 済美高校と言えば、最近では甲子園の常連校という印象があり、特に印象的なのが、昨年の春のセンバツで、安楽投手を擁して準優勝しました。
上甲監督の死因
上甲監督は、胆管がんのため亡くなりました。 甲子園が行われている8月中旬、体調を悪化させて入院したそうです。
上甲監督就任からの済美高校の高校野球の実績
上甲監督は、2001年10月に、済美高校の野球部監督に就任しました。 そして、2004年に、済美高校は選抜初出場初優勝という偉業を成し遂げました。 ちなみに、選抜初出場初優勝を果たした高校は、今までに16校あります。(済美高校を含めると17校) 参考:高校野球 – 甲子園 初出場・初優勝 また、甲子園出場は6回にのぼり、内訳は、春の選抜が2回、夏が4回となっています。 そして、優勝が1回、準優勝が2回となっています。 出場した場合の結果が素晴らしいですね。半分の割合で決勝戦まで進んでいるわけですから。
上甲監督の教え子
上甲監督は、今までにプロ野球選手を輩出してきました。 以下にその一覧を示します。
- 平井正史(オリックス→中日→オリックス)
- 橋本将(ロッテ→横浜)
- 宮出隆自(ヤクルト→楽天→ヤクルト)
- 岩村明憲(ヤクルト→レイズ→パイレーツ→アスレチックス→楽天→ヤクルト)
- 高木啓充(大阪体育大学→ヤクルト)
- 高橋勇丞(阪神)
- 鵜久森淳志(日本ハム)
- 福井優也(早稲田大学→広島)
岩村選手や福井選手は上甲監督の教え子だったのですね。 岩村選手はメジャーでも活躍したので、メジャー選手も輩出しているというわけになるんですね。
安楽投手と共に上甲監督最後の夏
2014年夏の甲子園。済美高校は出場出来ませんでした。 地方大会の3回戦で、東温に1-4で敗れ、安楽投手とともに、上甲監督にとっても最後の夏となってしまいました。 参考リンク:昨年センバツ準V済美 8強前に敗退、157キロ腕・安楽の夏終わる ― スポニチ Sponichi Annex 野球 残念です。
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